東京六大学の黎明期、東大には伝説の投手が存在した。1927年春の立大戦でノーヒット・ノーラン(東大では唯一)を達成した東武雄投手である。
東の卒業後は一気に弱体化。1933年から1938年には連続10シーズン最下位となり、戦後は1950年から14シーズン連続と「万年最下位」の道を歩むようになった。途中、法大・江川卓に初めて土をつけたり、1981年には史上初めて早大と慶大から勝ち点をマークして“赤門旋風”といわれた時期もあったが、他の私大が推薦枠などで有望な選手を集めるようになった80年代後半以降は力の差が歴然となっていき、1987年秋から1990年秋までにはなんと 1 勝100敗の記録まで樹立。その後も低空飛行が続く。
「これではいけないと、東大OBで、現在の浜田一志監督が2012年の就任以来、独自の選手集めをしてきました。塾講師の経歴を生かして東大志望の選手を対象に勉強を指導、夏には合宿も行なって入試合格者を増やしてきたんです。その成果がようやく表われ始めている」(スポーツ紙アマチュア担当記者)
東大野球部の寮は『一誠寮』という。寮には看板が掲げられているが、よく見ると誠の字の最後の一画「ノ」が欠けている。これは初代野球部部長の長與又郎氏が書き損じたものだったが、優勝したら書き加えようということになったといわれている。
「誠」の字が完成するその日は近いのか。OBならずとも興味は高まる。
※週刊ポスト2015年11月6日号