『第12回ワールド大リーグ戦』を8戦5勝2敗1引き分け(3位)の成績で終えた坂口は、そのまま約4か月間、シリーズ興行に同行したが、同年9月、「自ら希望して」通算4回目のアメリカ長期遠征に出た。
ツアー先は、“ファンク王国”テキサス州アマリロ(6か月)と中西部カンザスシティ(1か月)だった。
アマリロでは、ドリー・ファンクJr.のNWA世界ヘビー級王座に2回挑戦。武者修行というよりは、すでにメインイベンターのポジションになっていた。
昭和46年の正月をテキサスで迎えた坂口は、同年春の『第13回ワールド大リーグ戦』には出場せず、7月の『サマー・ビッグ・シリーズ』に9か月ぶりに帰国。
“秋の本場所”として前年からスタートした『NWAタッグ・リーグ戦』では、猪木との“黄金コンビ”でキラー・コワルスキー&キラー・バディ・オースチンを下し初優勝した。だが、「その年の暮れに会社がガタガタっときた」
“第3の男”がいきなり矢面に立たされることになったのである。
※週刊ポスト2015年11月6日号