どんな大物だろうと天才だろうと、人生の中では思い悩み苦しむことがあった。そんな時に光を照らし道を示してくれた恩師の思い出は、今も色鮮やかに心に刻まれている。コメディアンの萩本欽一氏(74)が、そんな恩師たちへ感謝の言葉を綴る。
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僕には恩師、恩人と呼べる人がたくさんいるんです。僕の人生が変わる時には、必ず誰かの姿があった。
人生を変えてくれた第一号はやっぱり(坂上)二郎さん。二郎さんがいなきゃコント55号は生まれなかったもの。ただ、仕事が終わると「じゃあね」とすぐに別れて、一緒に食事もしない関係だった。お互いの領域に踏み込まないと、結成間もなく約束していたからね。
けど、亡くなる前に病室へ見舞って握手したら「楽しかったよ」といってくれたように感じた。その時、二郎さんっていい人なんだなと思ったし、僕も心から感謝した。最後に気づけてよかったと思いますよ。
青島幸男さんは人生を変える言葉を下さった。あれはコント55号が猛烈に売れ始め、「ロレックスをつける」「高級車に乗って豪邸を建てる」という夢に向かって突っ走っている時でしたね。
青島さんから「ピラミッドが1センチ高くなれば大騒ぎだが、欽ちゃんが20億円の家を建てても日本の教科書は変わんないよ」といわれたんです。これを聞いた時に、自分の進もうとする道が違うことに気付いた。
それからは時計もしていないし、車も走ればいいという考えに変わりました。あの一言がなければ、僕はどこに向かったかわからない。
作家の野坂昭如さんと雑誌で対談したときの一言も忘れられない。『欽ドン!』が『8時だョ!全員集合』の視聴率を抜いたので守りに入りたくなり、テレビ出演の本数を絞った時期だった。
「テレビでは何度も見ると嫌な人がいる。欽ちゃんはそうじゃないのに、どうして露出が少ないの」といわれたんです。目が覚めたね。あの言葉がなければ「視聴率100%男(※注)」といわれることもなかったと思います。
【※注/『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(フジテレビ系)、『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日系)、『欽ちゃんの週刊欽曜日』(TBS系)のレギュラー番組3本が視聴率30%を超え、合計が100%になったためそう呼ばれた】