『欽ドン!』といえば最初大コケしちゃって、半年で降板しようと、責任者だったフジテレビの日枝久さん(現会長)に挨拶に行くと、「欽ちゃんにこの時間帯を10年預ける。半年で終わっても20番組できる。1回ぐらい当たるでしょ」といわれた時も奮起させられたね。
いつもこうなんです。自分がこっちだと思って前向いて歩いていると、後ろから反対の言葉が飛んでくる。そこで後ろ向きに歩きはじめるとうまくいく。不思議だよね。
そうしたことには、できるだけ恩返しをしてきたつもりです。だから僕は“恩人”でなく、もらったものを返すつもりで“人恩”といってきた。けど、その中で恩返しできなかった人がいる。それが放送作家のはかま満緒さんなのよ。
はかまさんは僕を初めてテレビに出してくれた人。自分の関係するテレビに出演させて有名にしてやろうと一生懸命やって下さった。
けど僕はテレビに出るたびに失敗して怒られてばかり。「テレビには向いていないのかな」と、板の上(舞台)が懐かしくなっちゃった。それで恩を返せないまま浅草に逃げ帰っちゃった。若かったね。申し訳ないことをしたと思います。
売れっ子になって恩返ししようと思ったころには、今度ははかまさんが「テレビは嫌だ」と浅草に帰っちゃっていたんだよね。オチに使っちゃ申し訳ないけど、ひとつも得しない人にしちゃったのが、今でも悔やまれますね。
●はぎもと・きんいち/東京都生まれ。高校卒業後、浅草を中心に舞台で活動したのち、1966年に坂上二郎とコント55号を結成。2015年春より駒澤大学仏教学部に通う。
※週刊ポスト2015年11月27日・12月4日号