確かに昔の巨人にはキャラクターの立った選手が多かった。そしてそうしたスターは一時期から、事件とセットで語られることが多くなった。
代表格はやはり江川卓や桑田真澄だろう。1978年、ドラフト会議前日に江川と契約を結び、コミッショナーの「強い要望」で阪神から強引にトレードさせた「空白の一日」。早大進学と見られていたPL学園の桑田を1985年のドラフトで強行指名した「KK事件」。いわくつきの入団経緯は、アンチ巨人の反感を増幅させることに役立った。
ただ彼らは紛れもないスーパースターだった。逆境も実力で乗り越え、批判を跳ね返した。『週刊ベースボール』(2015年12月28日号)にアンチ巨人に対するコラムを寄せたベースボールライター・石田雄太氏も〈野球選手としての突出した才能がもたらす追い風に等しいだけの逆風を浴びせても平然としていられるだけの強さ〉があり、それをアンチ巨人が〈彼らに感じたからこそ、激しい向かい風を吹かせた〉と述べている。
その後も巨人はスター選手をかき集め続ける。主に1990年代、財力にモノをいわせて他チームの4番打者を片っ端から獲得したことも、アンチ巨人をさらに増やす要因になった。
「逆指名やFAなど、巨人が戦力補強のために言い出した新制度案は通りやすいと皆が感じていたでしょう」
当時、自身も巨人に移籍してきた広澤克実氏はこう笑う。だがこの頃から、スターの存在よりも、巨人の“横暴さ”が目立つようになる。象徴的だったのは球界再編が大問題となった2004年、1リーグ制導入を目論んでいた渡邉恒雄オーナー(当時)に対して古田敦也選手会長が対話を求めた際に「無礼なことを言うな、たかが選手が」と吐き捨てた「暴言事件」だ。広尾氏は球団がこうした横暴や、事件を頻発させたことがアンチを変節させ、“巨人離れ”を招いたのではないかと指摘する。
「球団が起こす事件がアンチの憎しみの性質を変えた。憎らしいほど強いスターへのアンチから、巨人がやりたいようにやる“アンフェアさ”に対する反発になり、『清武の乱』(※注)以降はまったく違う、球界の暗部への嫌気になってしまった。公平、公正を重んじるスポーツで、それを巨人が軽んじてきたことが、アンチに見放される現状を招いたのではないでしょうか」
【※注:2011年、球団人事に渡邉会長が介入したことを清武英利球団代表が暴露した事件】
※週刊ポスト2016年2月12日号