ところが、すぐに物足りなくなり、より強い快楽が得られるというコカインに手を出していったのであろうか…。
「巨人に移籍した最初の数年はオフシーズンに少量を使用するという程度だった。しかし、2000年ぐらいから肉離れを頻発して結果が残せなくなるとコカインや、さらに強力なシャブ(覚せい剤)を使うようになった。それを使えば、一時的にでもプレッシャーから逃げることができる。それでも、キヨさんは何度も何度もクスリを絶つことで再起を図ろうとしていました」(前出・知人)
この頃から清原はメディアから「球界の番長」と呼ばれるようになる。気性が荒いとされる大阪・岸和田出身であることや、肉体改造による見た目の変化で、後輩選手たちを従えているように見えたからだ。清原を間近で知る人は「優しくて、どちらかというと気の小さい人」と口を揃えるが、世間が作る“番長イメージ”が彼をさらに追い込むことになる。
「キヨさんの周りにその筋の人たちが群がるようになってきました。“お前のどこが番長なんだ”とキヨさんを小突いたり、逆に“ファンやからおれの子分にしてやる”と仲間に引き入れようとする暴力団関係者もいた。
その上、“クスリをやっていたことをバラされたくなければカネを払え、言うことを聞け”と脅す連中も現れたんです。そうなると対処の仕方は2つしかありません。警察に相談して薬物使用も告白するか、それとも、裏の世界でさらに力のある暴力団関係者や組織に頼るか。前者の選択をすることはありえず、がんじがらめになっていた」(前出・知人)
※女性セブン2016年2月25日号