猪木は、NET(現在のテレビ朝日)の国際部を通じてアリ側のマネジャーのアンジェロ・ダンディとドン・キングの両氏に「そちらが提示した100万ドルに900万ドルをプラスし、1000万ドルの賞金を用意する。日時、場所は一任する」という文書を送付。
それが現実的な数字であったかどうかはともかく、当時の1000万ドルは1ドル=300円で換算すると30億円というとんでもない額だった。現在の物価にすれば、さらにその10倍くらいの貨幣価値になるだろう。
猪木は昭和51年3月24日、ニューヨークに飛び、同日、アリ陣営と最終交渉。猪木陣営が提示した600万ドルのギャランティーに対し、アリ陣営はあくまでも1000万ドルを要求したとされるが、最終的にはアリ自身の「600万ドル以上なら」という“鶴のひと声”で、610万ドルという微妙なかけひきを物語る額で交渉が成立。翌25日、午前10時からプラザホテルで調印式と記者会見が開かれた。
倍賞美津子夫人を伴い、紋付き袴の純日本スタイルで記者会見に現われた猪木に向かい、アリは「オレが勝ったら、その美しいワイフをいただく」とお得意のビッグマウスを浴びせた。これが“世紀の一戦”のプロローグだった。
●さいとう・ふみひこ/1962年東京都生まれ。プロレス・ライター、コラムニスト。プロレスラーの海外武者修行にあこがれ17歳で単身渡米。1981年より取材活動。『週刊プロレス』創刊時からスタッフ・ライターとして参画。『ボーイズはボーイズ』『みんなのプロレス』など著作多数。専修大学などで非常勤講師。
※週刊ポスト2016年3月4日号