実は、人間が介在しない完全自動運転に違和感を覚えるという声は、クルマと直接関係がないロボット開発などのAI分野から多く聞かれる。若手トップアルゴリズマー(情報処理技術者)の一人は言う。
「自律ロボットのソフトウェアプログラミングをしていて、これが人間に置き換わると思ったことは一度もない。ロボットの知覚は、部分的にはとてつもなく優れていますが、人間の知覚のパラメーターの多さはロボットなど足元にも及ばない。
それに、コンピュータの最終目的は正解の割り出し。でも、僕もそうですが、人間の目的って正解じゃないですよね。願望の充足であり、夢の実現ですよね。この両者の間には越えられない壁がある。
自動運転車は走ることに特化したロボットのようなものですが、そもそも作るのが難しいという点は置いておくとして、人間が本当に運命を託せるようなものになるかどうか。今のイメージでは、せいぜい使う人にそう錯覚させるくらいしか思い浮かびません」
現状では自動運転車のプロトタイプは、人間が見えないものを知覚することができる半面、人間がひと目で見えるものを知覚できないという段階で、どのような状況にも対応できるというわけではない。が、センサーなどを用いた認識技術は日進月歩なので、今抱えている問題は日を追って解決していくことになろう。
問題は、前出のアルゴリズマーが語った、意思らしきものを持つ機械と意思を持つ人間が本当に重なり合うのかということだ。
これはクルマの楽しさ、快楽に関することばかりではない。自動運転車だろうが手動運転車だろうが、外部要因による事故がなくなるわけではない。そんなとき、自動運転車の出した答えが乗員の望みと一致するとは限らない。
例えば、猫が飛び出してきた時に避けたほうがいいのか轢いてしまったほうがいいのか、対向車が飛び出してきたときどっちに行けばいいのか、人が飛び出してきた時は?……こうした様々なケースにおいて、人間の取る行動は個人の思いによってさまざまだ。
人身事故の場合、十分に減速して被害を最小限に抑えられそうでも、当たりどころが悪いと死亡事故になることもある。「そうなるくらいなら自分の命が危険にさらされようとも自爆したほうが……」と考える人が乗っている自動運転車が相手を低速ではね、挙句死亡してしまった場合、その人は自動運転車の判断をそれこそ死ぬほど恨むだろう。
ならば、そういうときには自損事故を選択するようなプログラムを実装すれば解決するのかというと、それも否だ。
カタログに「このクルマは人身事故が起こりそうになったら自爆します」などと書いてあろうものなら、自己犠牲の精神を持ち合わせている人も含めて「そんなもんを高い金を出して買うくらいだったら自分で運転するわ」と思うのは必定であろう。
この例は極端だとしても、AIが人間の感性にフィットすることの難しさという点は一事が万事。人間と機械が、たとえほんの部分的にでもいいから意思の疎通を図れるようになって、初めて完全自動運転車は人間と仲良くなれる。
そうなるまでは、衝突回避システムや運転支援システムの延長線上にある部分的自動運転にとどめ、完全自動運転は限定された空間のみで運用し、新しい「マン・マシン・インターフェース(人間と機械との仲介を行なう機器)」の技術の登場を待ったほうが、かえって技術の普及は早まる可能性が高い。自動運転普及政策において、そこをいまいちど熟考すべきだ。