◆現実が物語をここまで強化するとは
「震災後、特に顕著な傾向に、レイシズム(人種差別)やミソジニー(女性嫌悪)があって、男性性を誇示するためだけに女を支配する川島はその象徴ですね。私は彼の悪意を支持こそしませんが、最近は正論や善意を盾に人を叩き、貶める行為が横行しているからか、悪を自覚する彼には共感を覚えることもありました」
後日優子とドバイに飛び、ショッピングモールで売られる少女を見て沙羅は思う。〈不幸な子供が、自分だけを待っていたらいいのに〉
そうした醜悪ともいえる自己愛や欲望の只中に立つ、バラカの存在感が圧巻だ。
第三部「大震災後八年」で彼女と旅をする豊田の荷物の中にカズオ・イシグロ著『わたしを離さないで』の名が登場するが、これは自身も好きな本だという。
「タイトルもバラカの心境にピッタリで、豊田が読むならこんな本かなあと。世界と隔絶された主人公の孤絶感は、確かにバラカと共通するかもしれません」
7歳で甲状腺癌を発症し、その手術痕から〈首飾りの少女〉と呼ばれるバラカは、〈震災履歴〉から自己紹介を語る人々に〈棄民の象徴〉と崇められる一方、フクシマの安全性の広告塔として原発推進派に利用もされる。両派の綱引きの中、バラカが生きたいように生きることを支えてくれる大人は豊田ら数人だった。
「こんな少女がいたら絶対利用されますよね。一時は両者の罵り合いが凄かったし、情報を巧妙に操作される怖さを誰も自覚していない空気が作中に映りこんだり、ここまで現実が物語を強化する経験は私も初めてでした。
棄民という言葉も取材中、ある被災者が使った言葉で、行き過ぎた相互監視社会や、互いを叩き、支配下に置こうとする人々の姿には薄気味の悪さを感じてならない。疑心と不信に毒された世界を生き抜くバラカに何を感じるかは人それぞれですが、私は忘れられたり、つらい境遇にある人に目を向けるのが、文学だと思っているので」
少女の覚醒が読むほどに胸を抉り、時代として形を成す間もない今を血肉化してみせた文字通りの大作だ。が、本書を閉じてなお私たちは震災後を生きなければならず、せっかくの傑作を単なる読書で終わらせたくはない。
【著者プロフィール】きりの・なつお:1951年金沢市生まれ。成蹊大学法学部卒。1993年『顔に降りかかる雨』で江戸川乱歩賞、1998年『OUT』で日本推理作家協会賞、1999年『柔らかな頬』で直木賞、2003年『グロテスク』で泉鏡花文学賞、2004年『残虐記』で柴田錬三郎賞、2005年『魂萌え!』で婦人公論文芸賞、2008年『東京島』で谷崎潤一郎賞、2009年『女神記』で紫式部文学賞、2010年『ナニカアル』で島清恋愛文学賞と読売文学賞、2015年に紫綬褒章。英訳版『OUT』等、国際的評価も高い。165cm、A型。
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2016年4月8日号