しかし第3子とはいえ高齢出産。リスクが高いということで、羊水検査を受けたところ、ダウン症の男の子であることがわかった。
「えみるの事故のときに、『がんばれ』と言うだけで、ほかに何もしてやれなかったという大きな後悔があったあの時の妻に、『この子を産まない』なんていう選択はなかったんです。言葉はなくてもそんな強い決意を彼女の表情から強く感じましたね」
お腹の男の子には、ひらがなで「こころ」と名づけ、ダウン症の子を持つ両親に話を聞きにいくなど、前向きに進み始めていた風見一家だったが、妊娠から8か月後、こころくんの心臓は止まってしまった。
「麻酔をかけて外科的な手術もできるなか、妻は通常分娩を選びました。痛みに叫び声をあげながら、泣かないこころを産んだのです」
子供の死に目に2回遭うなんて、想像を絶する苦しみだったはずだ。しかし、風見らは不思議と気持ちが前向きになったという。
「それまでは四六時中えみるのことが頭から離れなかったのですが、こころのことを考えていたとき、初めて、過去を見るのではなく前を向こうと思えたんですね。そのときから、『人生どうだっていいや』が『人生どうにかしなきゃ』に変わりました。それってえみるが、『後ろばっかり向いていても、そこに幸せはないよ』とぼくらに言いたくて、妻のお腹を介してこころが伝えにきてくれたのかなと。このことをきっかけに、ずっと玄関に置いていた新体操のバッグもしまうことができたんです」
尚子さんの様子も、こころくんのことがあってから一変したという。
「妻はこころのへその緒をしまう前に、えみるとふみねのへその緒も出してきて、3人のへその緒をじっと眺めていました。そのとき『えみるはどこを捜してももういない』と思えたようです。正直この時の妻はぼくなんかより、ずっとずっと前を歩いているように感じました」
※女性セブン2016年5月5日号