スイスでは、自殺幇助とターミナルセデーション(終末期鎮静、以後「セデーション」)が合法化されている。
セデーションとは、残りの命が通常1、2週間に迫ってきた主に末期癌患者に対し、耐え難い痛みを鎮静させるとともに人工的に昏睡状態に陥らせ、死に向かわせること。水分を与えないため、腎不全になり、3~7日間で死に至る。安楽死行為と似ているため、日本を始め、多くの国で議論が続く。
「私もセデーションを行いますが、基本的には反対です。癌を患う認知症患者などの間で、この手段が選ばれます。ただ、彼らは知覚や意識が低下しているから、自らの身に何が起きているのか分かっていない。モルヒネを打ったからといって、痛みが消えたのかも分かりにくい。医者は痛みがないだろうと期待するしかないのです」
女医は、自殺幇助のほうが、患者本人が納得する死を迎えると信じている。
「家族や友人にきちんと別れを告げることができますからね。何よりも、患者自身が(毒薬の)ストッパーを開けて、死を選択できる。患者も家族も納得できて良い別れになります」
死を予告された患者たちは、常に同じ質問をするのだという。先生、理想の死に方はどんな形? 自然死かセデーションか、自殺幇助か。スイスでは複数の選択肢が存在する。彼女は毎回、同じ答えを返す。
「症状が進行するまで、もう少し待ってみてはいかがですか」
そして患者はしばらく自らの体と対話しながら考えを深めていく。苦しみがいよいよ深刻なものになると、理想の死に方について自ら思い至るという。
「2週間前、1人の喉頭癌患者を看たわ。彼女は、自殺幇助を好まない54歳の女性。私はなにも勧めず、彼女の意向で、『万が一のことがあれば、私がセデーションを行いますよ』とだけ伝えた。しかし、痛みが増した頃、彼女は言ったの。『先生、もう耐えられない。自殺幇助をお願いできますか』と」
女医は、「美しい死」だったと表現した。長男がその母親を腕の中に抱き、長女がベッドの横に座って見届けた。母親は死を前に、悔いが残らないようすべてを言い尽くした後、ストッパーを開けて自らの命を絶ったのだ。
女医はセデーションについてのネガティブな一面を伝えたわけではなく、患者本人の決定を待った。たとえ自殺幇助が合法だからといって、それを無理やり患者に押し付ける危険性を、彼女は十分理解している。
わずかながら、私の中にあった「自殺幇助=強引な死」というイメージが薄らいでいった。
そして女医は、「私の考えをあなたに押しつけるつもりはない。色んな人を取材し、様々な考えに触れなさい」と取材の協力を約束してくれたのだった。
●みやした・よういち/1976年、長野県生まれ。米ウエスト・バージニア州立大学外国語学部を卒業。スペイン・バルセロナ大学大学院で国際論とジャーナリズム修士号を取得。主な著書に『卵子探しています 世界の不妊・生殖医療現場を訪ねて』など。
※SAPIO2016年5月号