本書が焦点を当てるもうひとつのテーマは恋愛や男性との関係であり、原が二十歳の頃、無名の若き助監督と交際していたことについて近しい関係者の証言を得る。それは「結婚を意識した熱烈な恋」だったが、義兄熊谷久虎が激怒し、助監督は会社を追放され、2人は別れさせられてしまう。原は〈こんなに苦しいのなら、もう二度と恋はしない〉と語ったという。
本書が繰り返し言及するのは、熊谷と原の関係が周囲に「疑惑」を持たれていた事実だ。原の熊谷への傾倒は尋常ではなく、戦前、国粋主義にのめり込んで政治活動を行った熊谷に影響され、一時期その活動を補佐し、ユダヤ人謀略説まで唱えていたほどだ。
疎開する姉や甥と別居し、2人で住んでいた時期もあった。そうした関係を見て、男女の仲を疑う関係者は多く、本書は生々しい証言も引いている。男女の関係や性に関して潔癖症だったのではと想像させる原が、姉の夫と関係があったとは信じられないのだが……。
著者は膨大な資料を読み込み、これまでの評伝がアプローチできなかった関係者への取材にも成功している。そうして、寡黙で、人見知りで、内向的で、孤独な雰囲気を漂わせていた少女時代に始まり、本を読むなどして多くの時間を家の中で過ごした後半生までを描く。
そのなかで、関東大震災のときに母親が頭から熱湯をかぶって大火傷をしてしまい、それが原因で精神を病んでしまったことを明かし、原が〈終生、自分を語ることを好まなかった〉ことには〈こうした事情も作用していたと考えられる〉と推測する。
原の生前、著者は何度か取材を申し込むが、実現しなかった。それゆえ、「謎」について決定的な答えを導き出せてはない。むしろ本書を読むことで「謎」は深まり、「なぜ?」という問いは強まる。だが、そのことは、本書が「伝説の女優」の輪郭をこれまでになくくっきりと描くことに成功し、限りなく真実に近づいたことの証拠でもある。
※SAPIO2016年6月号