──日本の文化財は、建築重視で、ただ建物を見せるだけ。そこがどのように使われるのかという「人間文化」の見せ方が足りないそのようにも批判していますね。
花山院:茶室ならば道具や調度品を置き、掛け軸を掛け、実際に使われる形を再現して見せるべきで、そうした「体験型」の見せ方が必要です。それに関連して言えば、私は以前から博物館に、展示されている仏像の前で手を合わせやすくするためにお賽銭箱を置いたらいかがですか、と提案しているんです。
博物館は純粋な美術品として展示しています。皆が手を合わせると、公的施設の場合は一部の宗教を支援することになるのでしょう。しかし、人々が仏像に心を惹きつけられるのは信仰の対象として美しい造形だからですし、その前で手を合わせるのは自然なことではないでしょうか。
──日本の文化財には「立ち入るな」「触るな」「撮影するな」と禁止が多すぎると批判しています。
花山院:アトキンソンさんは、文化財を観光客にもっと楽しんでもらえる観光資源にするために、禁止事項を減らすべきだと主張しているわけですが、その点については若干意見が異なります。
文化財の所有者の立場で言えば、やはり守るべきところは守らなくてはならない。なぜなら、文化財は観光の対象である以前に、信仰の対象であるからです。春日大社は世界遺産「古都奈良の文化財」を構成するひとつですが、言葉の厳密な定義で言えば遺産ではなく、現在もお祭りやご祈祷が行われている信仰の対象です。
国宝に指定されている御本殿は非常に神聖な場所で、ふだんは皇族と神職以外は近寄ることを許されていません。一般の人は少し手前からしか参拝できないので、建物の全貌も細部も見ることができません。しかし、観光資源として活用するべきだからといって開放してしまうと、神聖さが損なわれ、大切なものが失われ、本物が本物でなくなってしまう。それでは本末転倒でしょう。
※SAPIO2016年6月号