さらに、これに乗じる形で、韓国の検察当局が朴氏を名誉毀損で在宅起訴してしまった。民事訴訟では、元慰安婦に対する名誉毀損を認め、朴氏に損害賠償を命ずる判決が出され、著書の一部記述を削除するよう命じる仮処分決定もされている。自分たちこそ善と信じる彼らは、自分たちにとって都合の悪い「悪」が弾圧されることに拍手喝采だ。
それにしても、不思議でならない。これらはリベラル左翼が命を懸けてでも抗う言論弾圧そのものではないのだろうか?
3月末には『帝国の慰安婦』をめぐるシンポジウムが東京大で開かれた。朴氏の支持派と反対派に分かれての討論という設定自体にも違和感を覚えた。もはや、そこに本来、当事者であるはずの元慰安婦たちの影は一切感じられない。本の内容を削除するよう裁判所に求めていること自体が異常であるという認識すら一致できなかったことからも、議論の不毛さは推して知るべしだろう。
参加者の一人は、刑事裁判によって朴氏が入獄することになったとしても「仕方のないこと」と言い放った。彼らにダメ出しされた人間は、人権も自由も一切認められないということらしい。
慰安婦問題での日韓合意をめぐっても、両国の正義オタクは、非難の大合唱だ。当然のことながら、当事国が100%満足する外交問題の解決などありえない。妥協点を見いだし、少しでも事態を前に進めることが重要だ。
その点では、百点満点とは言えないとしても、四半世紀にわたって日韓間の楔となっていた問題を前に進めたことは間違いない。「白紙撤回」を求める正義オタクは、実は問題の解決を望んでいないのではないかとすら思える。没頭できるテーマがなくなってしまってはオタクは存在し得なくなってしまうからだ。
慰安婦問題で「真の解決を」と正義オタクは言う。「真の革命」「真の戦い」云々。「真の」が付く大義名分には、どうも血なまぐさが付きまとう。彼らは、もしかしたら争い事が好きなのかもしれない。
人権も自由もかなぐりすてて、オタク世界のための聖戦を謳う。その銃口はどこに向けられるのだろうか。
●文/岸建一(ジャーナリスト)
※SAPIO2016年7月号