笑福亭鶴光(68)には、人の機微をとらえる優れた反射神経が備わっているように思う。対したときに相手の人となりを瞬時に読み取る力。それはやはり、幼い頃から母ひとり子ひとりで育ち、ときに小咄が好きな祖父の家に預けられてきたという育ちとも無縁ではないのだろう。中学時代は新聞配達のアルバイトに明け暮れた。成績はトップクラスだったが、家計に遠慮して定時制高校を選んだという苦労人なのだ。
「オールナイトニッポン」のイメージが強く、また接していてもユーモラスでサービス精神にあふれているので、つい剽軽な人ととらえてしまいがちだが、実のところ極めて質実でストイックな一面を持つ。
鶴光は、移動では基本的に電車を使う。「この頃はちょっと売れたと思うたら、楽屋にクルマで乗り付ける芸人がおる。芸人は歩いてくるお客さんにお金をいただいているのに」との先輩の言葉に得心がいってからは、公共交通を利用している。
あるいは、楽屋に差し入れられる菓子類に手を伸ばすことは一切ない。
「食いたかったら外で食えというのが、うちの師匠、笑福亭松鶴の教えでね。俺はあんまりええとこの子じゃないから、食うてる姿を見られるのも怖い。それとね、楽屋にいる人達は互いを見ているんです。あの人は食わんなとか、パクパク食うてるとか、ああ、あの人は持ち帰りよったぞとかね(笑い)」
大阪から上京して約30年たつが、いまも1泊数千円の赤坂にある同じビジネスホテルを定宿とし続けている。テレビ局が用意する高級ホテルに泊まることを潔しとしないのだ。浅草の寄席に出るときは、健康のため上野で電車を降りて、1時間ほど歩いて向かうことが多い。
「歩きながら頭の中でネタを繰るんです。ちょうど歩くテンポとネタを繰るテンポは似ているんです。俺の落語はギャグを入れつつ、時事的要素をはさんで横道にそれていく落語やから。ぶつぶつと言いながら道を歩いているのは不思議な光景やけど、1時間で2つ3つのネタは繰れるからな」
◆しょうふくてい・つるこ/1948年、大阪府生まれ。上方落語協会会員、落語芸術協会「真打上方」。1967年に六代目笑福亭松鶴に入門。1974年から11年9か月続いた深夜放送『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』で絶大な人気を誇り、その後はニッポン放送『鶴光の噂のゴールデンアワー』のパーソナリティを16年間務めた。東京を拠点に上方落語の発展に尽くし、テレビ・ラジオなどでも幅広く活躍。
◆撮影/初沢亜利 取材・文/一志治夫
※週刊ポスト2016年9月2日号