【著者に訊け】北方謙三氏/『魂の沃野』(上・下)/中央公論新社/各1500円+税
十五世紀末、加賀で起こった一向一揆はほぼ百年続き、「百姓ノ持チタル国」とも呼ばれるようになる。この時代に加賀西部の地侍の家に生まれた風谷小十郎は、本願寺宗主の蓮如とも、守護の富樫政親とも不思議な縁を結ぶ。
昨日は味方だった友とも、明日は剣を交えざるをえない戦乱の世にあって、どう生きていくべきか、小十郎は絶えず自問せざるをえない。そのことは彼を、人を惹きつける、スケールの大きな人間に成長させもする。
主人公の風谷小十郎の、何ものにも囚われないしなやかなふるまいが魅力的だ。一向一揆という他に例のない史実の中に、北方氏は自身が造型した小十郎という傑出した若者を置き、自在に動き回らせている印象を受ける。
「もしかしたら、そういう名前の人間が実際にいたかもしれないよ(笑い)。あのあたりに、風谷峠や風谷郷という地名はあるんです。地名と人名はだいたい一致しますから、この時代かどうかはともかく、風谷小十郎という人間がいた可能性はあります」
冒頭で、蓮如との出会いが鮮烈に描かれる。十六歳の小十郎は、夜の山を歩いていて不穏な気配に気づく。〈黒い影がひとつ、木に抱きついていた。揺さぶっているようだ。そして泣いている〉。
〈熊か。それとも猿か?〉と問う小十郎に、蓮如は〈人間だ〉と答える。型破りな蓮如の個性が、小十郎の心に刻みつけられる。のちに小十郎に送る〈けもののままで、けものではない心を〉という書簡の言葉を、蓮如はみずからここで体現しているようでもある。
「これは史実なんです。木に抱きついて泣くのはおれが考えたことだけど、あの山の中に蓮如がふらっと入っていって、周囲の人に探されるということはしばしばあったらしい。史実は一応調べるけれど、書くときにはいったん頭から拭い去ってそれに縛られないようにすると、蓮如が木に抱きついて泣いてる、ってことになるわけだね」
加賀の一向一揆を描くという構想は長年、温めていたものだという。