入団して最初に二軍の球場で行われた新人合同練習も見に行った。初の二軍戦登板も観戦した。私には心配事があった。祐太は先輩らしい先輩がいない。中学は彼の代が初代であり、高校は一つ上の先輩が2人しかいなかった。年上に対しても物怖じしない人なつこさは、野球部特有の軍隊式上下関係とは無縁の環境からのものでもある。だがそれがプロ野球のモロ体育会系に入ってやっていけるのか。
二軍のブルペンで祐太はブルペンキャッチャーの裏方さんを相手に投球練習をしていた。祐太は一球投げるごとに声を掛けていた。
「次はストレートお願いします」「次はスライダーお願いします」
投げる前に球種を「お願いします」という言葉を添えて伝える。誰かから教えられたのか自分で見て学んだのかわからないが、とても安心した。
シーズン中は投げるときは極力観戦して、感想をメールで伝える。「あの球、良かったな」「解説者の○○さんが褒めてたよ」ととにかく褒める内容しか書かない。「神田さんなら厳しいこと言ってもいいんじゃないですか」という人もいるが、僭越である。どうせ打たれて負ければ、監督やコーチから厳しいことを言われるのだ。素人があれこれいうのはおこがましい。勝ったら威勢の良い返事が返ってくるが、負けたら何も返ってこないことが多かった。
ところがこの数年、負けても「○○の球のコントロールが甘かった」など、投球内容を分析した返事がくるようになった。
ある試合でこんなことがあった。祐太のストライクゾーンからボールになる変化球を向こうの打者が初回から見極めてきた。今まで空振りしていた外国人打者のバットもぴくりと動かない。カウントに苦しんでストライクを取りに行ったストレートを狙い打たれ、早々にノックアウトされてしまった。
「向こうの見極め、すごいな」
と私がメールをすると、
「何かクセを見つけられたのかも知れません。次は工夫します」
次の試合、祐太がとある「工夫」をすると、今度は向こうのバットが面白いように空振りを重ねた。やはりクセを見つけていたのだろう。少しでも隙を見せるとたちまち食い物にされる。改めて彼がいる世界の非情さを思った。
琴菜さんとは、宮古島の自動車教習所で知り合ったと聞いた。つきあい始めて早々に石垣島の実家に連れて帰ったそうだ。
「そうしたらじっちゃんとばあちゃんがえらい気に入って、他の娘を連れてきたら家に上げんというんですよ。困りました」
照れ隠しに困ったふりをしながら、まんざらでもなさそうな笑みを浮かべていたのを覚えている。
大嶺祐太が伊志嶺吉盛監督と出会って10年で甲子園に出た。それから10年の今年、伊志嶺監督は八重山商工監督を勇退し、祐太は新しい家族を得た。
披露宴で友人代表挨拶に立った八重山商工の元チームメイト、金城長靖の祐太の祖父・祖母に向けた「じっちゃん、孝ばあ、おめでとう!」という飾り気のないそのまんまの言葉が、私の胸を貫いた。祐太と幼なじみである彼にしか言えない言葉である。
クリスマス、両親との温かい食事と無縁の子どもたちもいるだろう。華やかな街の装いに孤独を募らせる魂をそっと見守る大人がいてほしい。そしてまっすぐ生きておれば、良き仲間、良きパートナーに恵まれることを伝えたい。