戦前の大富豪たちは、今では考えられないほどのスケールでカネを稼ぎ、そして使いまくっていた。彼らは、世界と伍していくために邁進していく戦前の日本の映し鏡でもあった。歴史に造詣の深いライフネット生命会長・出口治明氏が監修、忘れられた大物実業家たちの軌跡を辿る。
* * *
梅屋庄吉は日本で始まったばかりの映画ビジネスで財を成し、自ら稼ぎ出した巨万の富を中国の革命家・孫文に送金し続けた人物だ。
中国の革命家と長崎生まれの野心的な実業家──互いに20代だった二人が出会ったのは1895年。写真の技術を学んでいた梅屋は、シンガポールで写真館を開いた後、香港に移り住んで「梅屋照相館」を経営していた。この写真館に孫文の恩師である医学博士のジェームス・カントリーが出入りしており、それが二人の間をつないだという。
「梅屋照相館」で出会った二人はたちまち意気投合し、東洋の平和実現をテーマに夜遅くまで語り合った。「中国の未来のためには革命を起こして清朝を倒すしかない」と話す孫文に対して、梅屋はこう言ったという。
「君は兵を挙げたまえ。我は財を挙げて支援す」
そして、梅屋はこの言葉を生涯にわたって守り通すことになるのである。
明治元(1868)年に生まれた梅屋は、長崎の貿易商の息子として育った。当時の長崎は上海との交易の窓口であり、江戸時代から続く海外文化の出入り口だった。幼い頃から異国の文化に触れてきた梅屋は、14歳の時に初めて上海に渡ってアヘン戦争後の大陸の姿を見た。
続けて米国への留学を計画するが、乗り込んだアメリカ籍の船で彼が目にしたのは、あまりに驚くべき光景だった。そこではアメリカ人の船長がコレラに罹った中国人の乗員を袋に入れ、海に投げ捨てていたのだ。