馬場会長は自らの子分に加え、神戸山口組の幹部・組員を連れて会津小鉄会の本部に入り、原田若頭派を追い出して施錠し、一帯が騒然としたのだ。近隣の小学校児童は警察官の付き添いで下校することとなり、新聞記者やテレビカメラも詰めかけた。するとカメラに映し出された映像に、当事者たちに加え、六代目山口組幹部の姿があったのだ。
「馬場会長が神戸山口組を連れて乗り込んできた時、本部には六代目山口組や弘道会(司忍組長の出身母体)の幹部がいた。会津小鉄会のクーデター未遂は、2つの山口組の代理戦争みたいなもんだ。それも絶縁された原田若頭側に六代目山口組が付き、元々の馬場会長側を山口組から処分された神戸山口組が支援するという皮肉な構図」(山口組担当のマル暴刑事)
暴力団社会はとどのつまり、強い者の言い分が筋でしかない。これにより会津小鉄会の本部は京都府警によって封鎖された。
その後馬場会長は、金子利典会長代行に跡目を譲ることを決めた。だが、その襲名式当日、処分された原田若頭派も襲名式を挙行するという噂が消えなかった。金子新会長の襲名式2日前、山口組担当のマル暴刑事に電話すると、「どっちも正統な跡目を主張し、『七代目会津小鉄会』を名乗るというのだから前代未聞」と戸惑っていた。
刑事は原田若頭派を偵察に行く予定でシフトを組んでいたそうだが、結局、原田若頭派の襲名式は中止されたという。ただし、2月にずれ込んだということなので、まったく同じ名前の会津小鉄会七代目がもうひとつ誕生し、2人の七代目会長が並び立つ可能性は消えていない。
※週刊ポスト2017年2月10日号