ここで私が、意表を突いてみる。
「それは彼女(橋田氏)を間接的に洗脳していることに他ならないのでは?」
橋田氏が、自らの意思でスイスへの渡航を考えていることについて、私はとやかく言わない。だが、女医は橋田氏の連絡先を求めた。それは橋田氏の死を誘導する行為に映る。
「いいえ、私はディグニタスに行ってほしくないだけです。ライフサークルであれば、死ぬ寸前まで最大限生き延びる方法を探ることができるはずです」
彼女は6年間、ディグニタスに勤務していた。患者希望だけで無条件で死に至らすことのある同団体の方針についていけずライフサークルを設立した。
「招待する考えはない。洗脳はダメよ」
女医との会話は1時間半を経過していた。私は、彼女に強引な物言いをしていることが気になってきた。これだけ多くを学ぶ機会を与えてくれた彼女を非難しているような気にもなる。だが、彼女は、笑顔を見せながら、淡々と思いを語る。それは彼女の仕事に対する自信の現れなのか。ところが、だ。「ヨーイチ」と、いつものように穏やかな声で私を呼ぶと、これまでにない辛そうな表情を見せ、ぼそりと言った。
「私だって、すべての幇助が正しいとは思わない。時には、罪悪感を持つことだってあるの。分かってちょうだい」
患者のためを思った自殺幇助だが、果たして死に相応しかったかどうかとの疑問が残ることもあると彼女は言う。もっとも新しい例は、この日の朝、女医が自殺幇助し、私が患者本人を前に「まだ生きられる」と訴えた、まさにその女性についてだった。
「彼女(サビナ)の病気は、全身麻痺でしたが、本当はまだ生きることが可能でした。病に倒れてからの2年間は、地獄の生活だったことでしょう。しかし、そこから20年間は、おそらく精神的な安定期に入ったと思うのです。彼女が死んだ時、私はヘルマンが泣きわめく姿を目の当たりにしました。この段階で幇助するのは間違っていたと、私は思わざるを得なかったわ」
後悔しても死人は帰らない。後悔の念を抱くくらいなら、私は人を安楽の世界へ導くことなどしたくない。この根本的な出発点が、そもそも私とプライシック女医の違いなのだと思った。いや、欧米人と日本人の違いなのか。スイスに始まり、スイスで終わる予定の旅だったが、どうしてもやるべきことが見つかった。私は日本行きを決意した。
【PROFILE】1976年、長野県生まれ。米ウエスト・バージニア州立大学外国語学部を卒業。スペイン・バルセロナ大学大学院で国際論とジャーナリズム修士号を取得。主な著書に『卵子探しています 世界の不妊・生殖医療現場を訪ねて』など。
※SAPIO2017年2月号