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2017.02.04 07:00  週刊ポスト

生誕から100年の沢村栄治 その短い生涯で築いた伝説の数々

◆出征ごとに変わるフォーム「悲運の豪腕」の素顔

 しかし、そんな沢村の野球人生に戦争が深い影を落とす。1938年に徴兵され陸軍に入隊。日中戦争で手榴弾を投げすぎて右肩を痛め、1940年に復帰した時にはオーバースローで投げることができなくなっていた。高校時代、当時の沢村を後楽園球場で観戦した元中日投手・杉下茂氏が証言する。

「サイドスローでしたよ。右肩を痛めたからだろうね。代名詞の速球やドロップを見ることはできなかった。でも抜群の制球力と大きく曲がるカーブは超一流でした」

 その後応召により再び軍へ。肩の状態はさらに悪化し、1943年の再復帰時にはアンダースローに転向した。だが満足な成績が残せず、1944年の開幕前に巨人から解雇され引退。同年秋、実に3度目の出征をし、屋久島沖で戦死(享年27)。

「沢村さんとは親戚関係なんです。沢村さんの弟のところに私のいとこが嫁いでいてね。家も近所で、私が沢村さんに抱っこしてもらっている写真もありました」

 そう語るのは、沢村と同じ三重県出身の元巨人投手・中村稔氏だ。

「亡くなったのが私が6歳の時だから直接野球を教えてもらうことはなかったけど、沢村さんと同じ指導者に指導を受けた。その人から聞いたのですが、体の手入れを怠らない人で、当時から銭湯の湯船で今でいうリンパマッサージをやっていたそうです」(中村氏)

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