1977年の『そんな女のひとりごと』もミリオンヒット。翌年に日本有線大賞にノミネートされたんだよ。他にはピンク・レディーや山口百恵がいたね。放送日はちょうど膵臓炎で入院中だったから、テレビ局に「中継車を出すので、病院の外で歌ってください」といわれていてね。
でも、中継車が近くで起こった事件に回されて、歌えなくなった。結局、大賞は沢田研二の『ダーリング』に決まった。ベストヒット賞をもらえたけど、事件がなかったら大賞を獲れていたかもしれないね。
NHKの紅白歌合戦からもオファーがあったようだけど、相撲協会が断わったみたい。20年くらい後になって聞いた話だけどね。まあ、相撲あっての歌だから、当然だと思ったよ。
印税で部屋の力士や関係者50人くらいをハワイ旅行に連れて行ったね。幹部にはビジネスクラスを用意したな。今考えたら、失敗したなと思うけど(笑い)。あとは、ちゃんこ店を出す資金にしたよ。一時、相撲協会が親方や力士のレコード発売を禁止にしたから新譜を出せなくなったけど、定年退職して今また歌を出すようになった。その時は、妻が泣いて喜んでくれたよ。
●ますいやま・たいしろう/1948年生まれ、東京都出身。大関・増位山大志郎の長男。父の反対を押し切って相撲界入りし、1967年初土俵、1980年大関昇進。現役時代の1972年に歌手デビュー。
■撮影/藤岡雅樹 取材・文/岡野誠
※週刊ポスト2017年2月10日号