いつもにこやかで、行動力もあり、生き生きとしている鎌田實医師だが、生きる難しさに直面しているという。1月に著書『遊行を生きる』を上梓した鎌田医師が、もっと自由に、大胆に生きる年齢の重ね方を提案する。
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人生はおもしろいはずなのに、生きるのは難しい。どうしたら生きるのが楽しくなるのかいつも考えている。
ぼくはいま68歳。壁にぶつかっている。傍から見ると屈託なく自由に生きているように見えるかもしれない。だが、これまでの自分は本当に自分らしく自由に生きてきたのかと悩んでいる。
子どものころは親や周囲の大人の期待に応えて、「いい子」を演じてきたのではないか。医師になってからも、地域の人や患者さんや同僚のために「いいカマタ」を演じて、無意識のうちに自分を殺してきたのではないか。ここ数年、そんな悩みがしこりのように心の奥に生まれていた。そこに、一筋の光のように、「遊行(ゆぎょう)」という言葉が浮かんできたのだ。生きるのがぐっと楽になった。
古代インドの聖人は、人生を4つの時期に区切った。「四住期」といわれている。
「学生期(がくしょうき)」は、生まれてきた命が学び、成長する時期のことを言う。「家住期(かじゅうき)」は人間として成熟していく時期。家族をつくったり、家をつくったり、人によっては会社を起こしたりして、いちばん汗をかくときでもある。「林住期(りんじゅうき)」は、仕事が終わった後、林に隠棲しながら、生きるとは何か、人間とは何かと思索を深める。そして、「遊行期(ゆぎょうき)」は、人生のしめくくりの時期といわれている。人によっては解脱(げだつ)、煩悩から自由になることを目標にする時期だという。
でも、ぼくは文字通り「遊び、行く」時期だと捉えた。この時期こそ自分の好きな仕事ややりたいことをする。自分自身を先鋭化する時期である。解脱なんか考えずに、自分というエッセンスを抽出する、ナンデモアリのまさに人生の総仕上げである。
先月、ぼくは『遊行を生きる』(清流出版)という本を上梓した。
10年ほど前、「林住期」という言葉が流行った。今よりやや経済がよくて、社会が浮ついている時、林に入って静かに人生のことを考えてみないかというメッセージだった。でも、今の時代、そんなことを要求されているだろうか。内向きでいいのだろうか。