一般的にピッチャーの記憶力は優れているといわれる。それに、人間誰しもキャリア最初の事柄は強烈に脳に刷り込まれているものだ。
「1993年といえば、僕自身が試合で覚えているのは初完封した阪神戦。対戦したバッターでは前田(智徳)あたりはスペシャルでしたね。落合(博満)さんはインコースのカーブにビビってました。僕も若かったから、たいしたことないなとか思っていました(笑い)。でも1993年っていったら、皆さんの印象に残っているのはやっぱりあの巨人戦なんですよね」
1993年6月9日、石川県で行なわれた巨人戦は、伊藤の野球人生を象徴する試合である。
先発した伊藤は巨人打線を相手に序盤から三振の山を築き、奪った三振は16。しかし試合は0対0のまま進み、伊藤は9回裏、篠塚(和典)にサヨナラホームランを打たれ敗戦投手となった。16奪三振という当時のセ・リーグタイ記録を作りながら、負け投手になったのは伊藤が初めてだった。
それからも馬車馬のように投げ続けたという印象しかない。とにかく1993年の伊藤智仁のピッチングは衝撃だった。
1試合における球数が多く、先発試合12試合のうち150球以上が4試合、中には延長12回投げて193球という試合もある。完全分業制が確立した現代野球では絶対に考えられない。時代のせいにするしかない部分もあるのだろうが……。
あのときの俺に適う奴なんかいるもんか、と言いたげなまでに傲岸不遜な顔つきで話す伊藤を見て、若馬が弾けるように駆け巡った1993年当時のオーラを少し垣間見た気がした。