例えば、人を斬る場合。相手の体軸や心の隙を一瞥にして見抜くのが「視る」力だとすれば、書画の核心をなす魂までも看破するのが「観る」力。まさに剣は画に、画は剣に通ず。その類稀なる能力を分かち得た1人が、武蔵と立ち合い後、剣を捨てて染物屋に転じた、3話の主人公・吉岡憲法だ。
巻末の取材協力者欄には「染司よしおか」5代目当主の名があり、この憲法黒との出会いが構想に繋がったと、以前は関西で情報誌の仕事をしていた著者は言う。
「といってもメインはラーメン屋とか飲食店の取材で、実は『宇喜多の捨て嫁』でデビューした時、僕は将来を考えて就活中だったんです。憲法黒というのは発色のいい京都の水に鉄を混ぜ、あえて色を濁した茶に近い黒染のこと。再就職のためにDTPの勉強をしていた僕はそれが武蔵に唯一勝ったともされる男が作った色と知り、ぜひ吉岡憲法を書いてみたいと思ったんです」
処女作『宇喜多の捨て嫁』がいきなり直木賞候補となるなど、目下注目の気鋭は、筒井康隆作「ジャズ大名」のような、「史実に根ざした面白い嘘」に憧れるという。
「ラーメンで言えば、歴史的事実も、現代的でアッと驚く展開も両方楽しめる、ダブルスープですね(笑い)。例えば武蔵が常に弟子を連れて試合をしていたのは文献にもある事実で、それを1対1の勝負として描くエンタメの方程式を、僕は凄い発明だと尊敬する一方、元に戻してもみたかった。そこで斬られる側に視点を移してみると、弟子といる武蔵に挑む人だって十分カッコよく見えたんです」
まずは有馬喜兵衛の場合。島原沖田畷(おきた・なわて)の戦で〈童殺し〉の汚名を負い、国を追われた彼は、播磨の賭場にいた。鹿島新当流の免許皆伝ながら破門を通達され、胃癌に蝕まれた彼は、〈生死無用〉を掲げて相手を募る少年の噂を聞く。宇喜多家重臣・新免家に仕える、父・宮本無二斎に〈武芸者の首ひとつをもって、元服の儀となす〉と命じられた13歳の弁助だ。