しかし、その一方で、当時、ある先輩から言われた「家族関係をドラマの軸に据えることで脚本は安定する」という一言が若い山田の耳にはこびりついていた。
「ギャング映画、喜劇、サスペンス、なんでもいいけど家族のドラマをその芯に入れておけば、それが錨となって映画が落ち着くということなんです」
渥美清主演の『男はつらいよ』シリーズは1969年、山田が38歳のときに始まった。こののち、40代から60代半ばまで、山田の映画人生は、東京・葛飾柴又を舞台にした喜劇をベースに展開していく。軸にあるのは、やはり家族だ。山田はこう述懐する。
「寅さんは、最初、家族に収まらない破天荒な人間として描きたかった。事実、家族なんかなんだ、と言って飛び出していった人間なんだけども、シリーズの回数を重ねるにつれ、だんだん寅さんの家族を描くようになった。自然とそこに落ち着いたという感じです」
1995年、48作をもって終了したシリーズは、実に四半世紀以上にわたって国民に愛され続けた。しかし、その間に日本と日本人は大きく変容してしまったと山田は言う。
「寅さんが始まったときは、あれが下町の家庭の標準だと考えて描いているつもりだった。けれども、この国はどんどん変化して、地域も家庭も崩壊して、気がつくと寅さんの家族のあり方は昔の懐かしい世界になりました。
20数年の間に、ああ、そんな生活もあったなあと振り返るぐらい、この国の生活文化は変わってしまった。柴又の景色にしてもそうです。土手の草は刈りとられてコンクリートの堤防になったから、撮影時には毎回、トラックに草を積んでいって植えたりしていた。
世の中のあり方や風景が、こんなに早く変わっちゃっていいのかという不安を抱きながらいつも撮影していました」