監督は、家族形態の劇的な変化も痛感している。
「幕末から昭和30年代までは、細々とだけど、日本人の生活文化はつながっていたように思います。下町であれ、町人であれ、武士階級であれ、家族のあるべき形を日本人は持っていたような。100年、200年、300年という歴史の中で。けれども、戦後、その家族の絆と暮らし方を崩すことで、日本は経済的な成長をしたんじゃないかな。その結果、いまはどうなのか、ということですね」
山田は、家族を通して人間を描き続けてきた。その多くは喜劇だったが、一方で、『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)、『遙かなる山の呼び声』(1980年)といったシリアスな人間ドラマも撮り続けてきた。
また、『たそがれ清兵衛』(2002年)をはじめとした藤沢周平作品に挑み、脚本家として『釣りバカ日誌』シリーズも手がけ続けている。まさに、半世紀以上にわたって映画づくりに専心してきたのだ。
作品に通底するのは、人間に対する愛だ。山田が描く人物は、たとえ嫌な人間であっても、どこかに救いがある。
●やまだ・ようじ/1931年生まれ、大阪府出身。幼少期を満州で過ごし、1954年、東京大学法学部卒業後、助監督として松竹入社。1961年『二階の他人』で監督デビュー。1969年『男はつらいよ』シリーズ開始。『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)、『息子』(1991年)、『学校』(1993年)など多数の代表作がある。2002年に『たそがれ清兵衛』で国内の映画賞を総なめにし、第76回米国アカデミー賞外国映画部門のノミネートを果たす。毎年のように映画作品を発表する一方、近年は舞台脚本・演出にも精力的に取り組む。1996年に紫綬褒章・朝日賞、2002年に勲四等旭日小綬章、2004年に文化功労者、2012年に文化勲章など受章等も多数。
撮影■江森康之/取材・文■一志治夫
※週刊ポスト2017年5月26日号