そこはお墓でありながら、墓石も写真もない。あるのは雄大な自然と、年々育つ樹木だけ。 昨今、「室内墓」とともに新しい埋葬の形として「樹木葬」が大きな注目を集めている。しかし、その内容はさまざまなことをご存じだろうか。ノンフィクションライターの井上理津子氏は、樹木葬の名付け親の待つ東北へと進路を取った。
現在の樹木葬は、大きく分けると里山タイプ、公園タイプ、庭園タイプの3つ。しかし、故人の名前を記すプレートの有無など、細分化をするとその種類は多様で数えると100種以上あるという。
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日本で初めて樹木葬を始めたのは、岩手県一関市の臨済宗・祥雲寺というお寺だ。1991年のことだという。樹木葬墓地を管理する祥雲寺の子院・知勝院が宗教法人として認可された2006年以降は知勝院の経営とのことで、そちらへ向かった。
東京から東北新幹線で2時間余り。一ノ関駅で降り、雄大な奥羽山脈の須川岳(栗駒山)を望みながら、タクシーで25分ほど。
車中、人のいい運転手さんが「つい先日も樹木葬の見学帰りのご夫婦を乗せましたが、大げんかしていました。『気に入った。決めた』ときっぱりと言う奥さんに、ご主人は『遠すぎる。子供が来てくれない』と反対する。『来てくれなくてもいいから決める。あなたが嫌なら、私ひとりで契約する』『それはないだろ』と。そのご夫婦に限らず、女性のほうが決断が早いみたいですよ」と話してくれる。
走るほどに緑が深まり、知勝院の境内、というか「生きもの浄土の里」と名付けられた里山の中ほどに着いた。目の前に、25mプールよりひと回り大きい池が水をたたえており、その背後に雑木林が広がっている。
作務衣姿の先住職・千坂げん峰さん(72才・「げん」は山へんに「彦」)が迎えてくれた。挨拶もそこそこに「樹木葬という言葉の名付け親ですか?」と聞くと、「ええ。商標登録をしなかったので、一般呼称のようになっちゃいましたが」と苦笑いされた。
その日はあいにくの天気だったが、山内を案内してもらった。知勝院の本堂の前から、緑に囲まれた小道を樹木葬のエリアへと進む。その小道がずいぶん歩きやすいと思いきや、「間伐材のチップを敷いているんです」と千坂さん。
「自家製ですか?」
「もちろんです」