一九八一年十月号の『VanVan相撲界』に掲載されている、「誌上対決われらライバル」と題した座談会がおもしろい。出羽の花ファンの北川清雄氏が「舛田山関が十両昇進四場所目で右踵骨折したときにはヒヤリとした。これがもし出羽の花関の怪我だったらという気持ちもあったが、ここで舛田山関がつぶれてほしくない、と心配した」と語った。私は目からうろこが落ちる思いだった。敵に塩を送る。自分の好きな力士の活躍を願うだけでなく、大きい心を持ちたい、相撲ファンとしてこうありたい、と思った。
一九五一年生まれの舛田山と出羽の花は昨年六十五歳で協会を定年退職したが、参与として再雇用されている。もうその顔を見られないと思っていた出羽の花に、この五月場所もまたモギってもらいたい。
しかし待乳山・出来山シフトは、私の行くつもりであった時間とは食い違っている。うむむ、取組を十数番捨ててもいいから出羽の花のモギリタイムにずらすべきか(以前、出来山親方に『息子さん、かっこいいですね』と言ったところ、とても照れておられた。長男の昇平氏は、ボディービルダー、スポーツトレーナーとして活躍している。出羽の花によく似た美男子である)。
木戸番が追手風親方(元大翔山)だとニンマリしてしまう。現在の体重は何キロなのだろうか。現役時の百八十一キロより確実に大きい。モギる場所、あそこはなんと呼ぶのだろう。小さなボックス席に、追手風親方は詰まっている。ボックスの扉がはじけはしないのだろうか、と不安になる。
見どころは、追手風親方がそのボックスから出る瞬間だ。焼き型から出された食パンのように、巨体が四角くなっている。それを見たくて、そろそろ食パンの時間かな、と取組に集中できない。