まず五輪会場のコスト削減問題。就任早々、大会会場の見直しを掲げたが、何の成果も出すことはできず、私の時代にストックしていた予備費を使うことによって、コストを下げたようなパフォーマンスをしただけであった。ボート会場に至っては、長沼ボート場を候補に挙げて宮城県に期待感を持たせただけであり、振り回された地元は大迷惑を被ったに違いない。
ボート会場については、組織委員会も東京都も何か所もの代替候補地を現地視察も含めて検討し終わり、IOC(国際オリンピック委員会)との協議も積み重ねてきたのであって、小池知事の政治的パフォーマンスで簡単に変更できるような軽いテーマではなかった。
そもそも五輪のコスト削減問題は、私の在任時から喫緊のテーマだった。当初、東京五輪に備えて新たに建設する恒久施設費用は、建築費や物価、人件費の高騰などで4584億円にまで膨れあがっていた。
私は、既存施設の活用、新設施設の見直しなどで総額2576億円まで削減した。とくに新国立競技場問題では、ザハ案撤回をはじめ、厳しくナタを振るった。
所管する文科省は抵抗したが、大所高所から的確な判断を下したのが、東京五輪の大会組織委員会会長・森喜朗だ。
彼は私の“政治の師”にあたり、私は森オヤジと呼んでいる。私の都知事就任当時、五輪組織委員会は都庁34階に仮住まいしていた関係で、オヤジは仕事のストレスがたまると7階の私の執務室に顔を出した。