絵手紙に始まって、〈どくだみを踏んでキスする男女かな〉と初デートで長吉が詠んだ句など、この2人はことごとく書かれた言葉で結ばれていた印象を受ける。
「本人も『書かれたものが全てだ』とよく言っていて、困るのは私の友達の話でも何でも書いちゃうんですね。『織田作之助の女房は亭主のためにご近所の噂を蒐集したもんだ』なんて言って。
千駄木の次に住んだ今の家では2階の北の3畳間が長吉、1階の南が私の書斎で、彼はその狭~い部屋を自分で選んだくせに、『順子さんは南の広い部屋をとり、私には3畳間があてがわれた』と書く人なんですよ。嘘ではないけれど、あてがわれたなんて、ねえ(笑い)」
一見強面の長吉は順子のJを取って〈UNKOちゃん〉と呼ぶなど、関西弁で言う〈甘え太〉でもあった。
「私は私で長吉を悪たれの〈くうちゃん〉と呼び、横縞が嫌いな彼の前では横縞の服は着ないとか、ちょっと甘やかしすぎましたね。彼が病気になってからも逃げようとは思わなかったな。お遍路に出たりピースボートで南半球を一周した時は症状も多少改善していたし、常に命を削るようにして書いていた彼は書きたいものがある限り、死なないと約束してくれたので」