また、異論を「問答無用」と叩き斬る松陰の天誅思想と全く同様に、昭和前期までの日本は政府要人の暗殺が多く、二・二六事件などのテロが多発した。松陰をはじめとする長州のテロリストが拠り所とした「水戸学」とは“歴史はこうあらねばならない”という、典型的な観念論といえる。このリアリティを欠く観念論が後の皇国史観につながったとみることもできるだろう。
司馬遼太郎氏は明治維新を賛美するあまり、日露戦争から大東亜戦争終結までの40年間を、「民族としての連続性をもたない時代」として日本史から切り離した。だが帝国陸軍を作り、政治に水戸学を持ち込んで太平洋戦争に突っ走ったのは紛れもなく維新以来の天皇原理主義を押しつけてきた長州閥である。我々は歴史の一部分を都合よく除外するのではなく、連続するものとして直視する必要がある。
聞き手・構成■池田道大
※SAPIO2017年9月号