◆ルーキーイヤーに外車で事故
打撃センスを評価され1997年に神戸弘陵学園高校から西武に1位指名で入団した玉野宏昌氏(39)は現在、感熱紙メーカー「ニッセイロールペーパー」で営業マンをしている。
入団時は、“清原の再来”の呼び声高く、1996年に巨人にFA移籍した清原が着けていた背番号3を与えられた。
「そのプレッシャーたるや凄かった。ファンから『なんでお前が3番なんだ』といわれるのが特につらかった。周囲からは“ドラ1は東大に入るよりもっと難しいんだぞ”と励まされましたが、とても喜べませんでした」(玉野氏)
大きすぎる期待に押し潰されてしまい、プロで放ったホームランはわずか4本。2005年に現役生活に終止符を打った。
「子供の頃からの夢だったプロの世界に入れて、そこで満足しちゃったんです。高校までは努力してたけど、プロ入り後は練習もせずに遊んでばかり。新人は車の購入を禁止されていたんですが、僕は1年目から『シボレー・タホ』という700万円くらいする外車を契約金で買って乗り回してました。半年で事故って廃車にしちゃったんですけど(苦笑)。
清宮君はこうならないように気をつけてほしい。あとはプレッシャーを気にせず伸び伸びやりさえすれば、すごいバッターになりますよ」(同前)
2人のアドバイスは清宮にどう映るだろうか。
※週刊ポスト2017年10月13・20日号