それだけに「つくし」は貴重だ。赤提灯の「つくし」でそうした歴史を肴に一杯やるのも一興だが、その際、日韓の歴史だけにこだわることはない。実は龍山の歴史はこの地の地政学を背景にもっと国際的なのだ。
歴史を振り返ると、龍山に駐屯したのは日本軍だけではない。高麗時代の元、つまりモンゴル軍や、李朝時代に秀吉軍と戦った明の軍隊、そして清の軍隊……日本軍の後は米軍がやってきた。南山の麓で南に大河・漢江の流れを配した龍山は、昔からこの地の首邑(しゅゆう・ソウル)を押さえる要衝だったからだ。
1945年に日本軍が撤収した後は米軍が進駐し、朝鮮戦争(1950─53年)の後に基地は拡大、強化された。しかしその米軍司令部が今年、半世紀以上にわたる龍山基地をたたんでソウル南方の新しい平沢(ピョンテク)基地に移転した。
龍山基地は広大、頑強すぎて完全移転までには時間がかかるというが、返還される跡地利用をめぐって韓国側では議論がかまびすしい。左翼・革新系の朴元淳(パクウォンスン)ソウル市長にくわえ文在寅政権のことだから軍事色を消した「平和」利用になるのだろう。
知り合いの韓国の歴史学者によると、龍山の米軍司令部には「歴史補佐官」という高級将校がいて、基地内部を案内してもらったことがあるという。彼によると基地内には日本軍時代の建物がかなり残っており、そのまま使われていたそうだ。日本軍将兵の慰霊碑も残っていて、米軍関係者の慰霊碑に作り変えてあったという。
彼はそうした建物の“歴史保存”を主張しているが、イヤな歴史は消してしまい無かったことにしたがる韓国なのでそれは難しいか?
そんな歴史を持つ龍山だから、「つくし」にはがんばってほしい。ちなみに女将は愛想のいい江原道出身の申応礼(シンウンレ)さん。屋号は福岡の「筑紫」ではなく春に芽を出す「つくし」だとか。韓国人が日本家屋を壊さず守ってくれている。
●文/黒田勝弘(産経新聞ソウル駐在客員論説委員)
※SAPIO2017年10月号