たとえば、第1楽章8小節目の左手によるトリル。これが、第4楽章6、7小節目の下降半音階とひびきあっているらしい。そして、ピアニストは、そんなところへも細心の注意をはらいながら、ひいている。このデリカシーを、聞きとる側が、どれだけ耳でひろえているか。私は気づけていなかったし、はなはだ心もとなく思う。
以前、内田光子のCDでこの曲を聞き、やけに神経質な演奏だなと感じた。もっと、歌心をひびかせてほしいとも思っている。この本を読んだ今、かつてのそんな感想を反省した。そもそも、奏者には緊張をしいる曲なのだ。
※週刊ポスト2017年12月1日号