「史料で確認できる四方拝の起源は、平安時代の初め、嵯峨天皇の時代まで遡ります。当初は在来の信仰を土台としつつも、中国的要素が強かったのですが、伊勢神宮への遥拝が加わり、今の形は明治に確立しました」
四方拝は10分ほどで終わり、その後すぐに宮中三殿に移動して、「歳旦祭」という年始の祭典に臨む。
歳旦祭では賢所、皇霊殿、神殿の宮中三殿にそれぞれ祀られている天照大神や八百万の神々、歴代天皇・皇后・皇族の霊に対し拝礼する。天皇にとっての“初詣”のようなもので、明治時代以降、行なわれるようになった。
国民は初詣で個人的な祈願をするが、天皇は国家国民の安寧を祈るという違いがある。皇室ジャーナリストの久能靖氏が語る。
「歳旦祭からは皇太子もお出ましになります。しかし陛下と同じ部屋で、同時に拝礼を行なうわけではない。陛下が拝礼を終えて退室されてから皇太子が入室されるので別々です。宮中三殿には冷暖房がなく、床は板敷ですから非常に寒いはず。近年は掌典職(しょうてんしょく)が陛下の代わりに拝礼し、陛下は皇后とともに儀式終了まで御所でお慎みされています」
◆手をつけない「おせち」
歳旦祭終了後は、御所にて侍従長はじめ侍従職職員らと「新年祝賀およびお祝酒」を行ない、9時半からは宮殿にて「晴の御膳」という行事に臨む。
これは新年を迎えたお祝いと自然の恵みに感謝するための儀式であり、ここでは勝栗や干しナツメなどの木の実や果物、塩や酢などの調味料、鮎白干しなどのメニューが用意される。おせちのルーツともいわれるのだが、天皇は皿に箸を立てる所作をするだけで、これらの料理を召し上がることはない。