しかし、「関光彦」と呼び捨てにされるのと、「関光彦死刑囚」と呼称を付けられるのと、当人にとってどちらが嫌だろう。まことに不可解な人権尊重である。
この記事には、関光彦死刑囚以前の例として「永山則夫・元死刑囚」が言及されている。いわゆる「連続射殺魔事件」の犯人で二十一年前に死刑執行されている。しかし、永山が「永山則夫・元死刑囚」なら、幸徳秋水は「幸徳秋水・元死刑囚」ではないのか。高橋お伝は「高橋お伝・元死刑囚」なのか。石川五右衛門は「石川五右衛門・元死刑囚」なのか。人権侵害は処刑後何年経ったら許されるのか。国会で決まったのか。
と思っていたら、それから旬日を出ずして、十二月二十七日の朝日新聞夕刊に「菊地直子元信徒 無罪確定へ」との記事が出た。
菊地直子元信徒とは、オウム真理教による爆発事件で爆薬原料を運んだとして殺人未遂幇助などに問われた人物である。これについて、テロに使われるとの認識がなかったとして、無罪判決が出た。
判決内容への賛否は、ここでもさて措き、「菊地直子元信徒」と言う呼称が奇妙である。さん付けにも抵抗があるし、呼び捨てにもできないし、オウム信徒ではなくなったことを強調してこの呼称にしたのだろう。
それなら、背教者ユリアヌスは「ユリアヌス元信徒」としなくていいのだろうか。国会ではなく、ローマ法皇庁の見解を尋ねてみたいところである。
●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。著書に『バカにつける薬』『つぎはぎ仏教入門』など多数。
※週刊ポスト2018年2月2日号