転形劇場は独創的でした。というのもセリフを一切使わなかったからです。しかも、ただの「無言劇」「沈黙劇」ではありません。2時間を超えようかという公演で、役者の一つ一つの動作がすべてスローモーションなのです。
例えば、手のひらを少し上げるのに数10秒、振り向くのに数10秒。ゆっくり座り、じわっと足を一歩前に出す。1メートル前へ進むのに1分、3分かける。映像ならスローモーションはスイッチひとつでできるけれど、生身の役者が演じる舞台においては、そうはいかない。中腰状態のままで姿勢を維持しつつ、少しずつ少しずつ手を動かしたり首を傾ける。
その舞台で必要となるのは、鋼のように鍛え上げられた「筋肉」です。練り上げられた「身体」です。大杉さんら役者たちは厳しい鍛錬と稽古を繰り返した末に、独特のスローな世界を築き上げました。そして、言葉を使わず相手役や観客と深いやりとりをしてみせました。
スピードと効率を追求し、饒舌になる一方の社会に対して、あえてブレーキを踏むという批評性も演出の意図にはあったのかもしれません。転形劇場の独特なメソッドについて、大杉さんは語っています。
「3カ月くらい稽古をするのですが、初めはセリフがあり、だんだん言葉を削いでいって、2カ月目では自分が話したい言葉だけを残し、最後はセリフをすべてなくすという、3段階の練習をしました」(「zakzak」2014.1.24)
超スローで無言なのに深い意味が伝わってくる不思議で豊かな世界。大杉漣という人の中に、しっかりとその希有な舞台経験が結晶していったのでしょう。
こうして練り上げられた、静謐なたたずまい。彫刻的な美しさ、研ぎ澄まされた身体の深い美を、北野監督は「2、3秒」で見抜いたのです。大杉さんも凄いけれど、隠された深い美を一瞬にして見てとった北野監督の感知力もまた凄い。
浅草芸人として地を這いながら磨き上げてきた野性的な勘が、大杉さんの持つ美を一瞬にして察知した、幸せな出会い。それが、「2、3秒」に起こったことの意味でしょう。
転形劇場で直に大杉さんを見ていた観客なら、きっと数秒間の出来事の意味をリアルに想像できるはずです。北野映画の常連となってからの大杉さんは見てのとおり。あらゆる枠組みから自由になり、ヤクザからサラリーマン、エロ親父からおどおどした好人物、サッカー解説からバラエティまで「300の顔を持つ男」として鮮やかに人生を駆け抜けていったのでした。