しかし、21世紀を待たずして始まったデジタル革命により、競争のルールが一変する。先行者利益や過剰な高品質よりも、「スケール」と「スピード」が勝負を決める鍵となった。そのため、それまで「エクセレント」とされた技術や商品や品質に企業が固執すればするほど、新しい変化に対応できなくなってしまったのである。かつて世界中から称賛された日本の超優良企業が業績悪化に苦しみ、以前なら考えられなかったような不祥事や劣化を引き起こしているのを見ても、そのことは実感できるだろう。
もはやピーターズとウォータマンが想定していたようなエクセレント・カンパニーの条件は、それだけでは存立できなくなっている。これまで看板商品を開発してきたのと同じ社員が、「Do More Better」の発想でそれを改良したり微調整したりしていたのではダメなのだ。21世紀は、自分の会社が持っている才能や能力、技術力以上のものを“会社の外”から引っ張ってくることが必要となってくる。
さらに注目すべきは、デジタル革命以後は、蓄積や経験というものはすぐにキャッチアップでき、その差を容易にひっくり返せるということである。ひょっとしたら、プログラミングの得意な一人の高校生が、誰も思いつかなかったソリューションを見つけてくれる可能性だってあるのだ。かつて巨大企業が大量のマンパワーと先進技術と大資本を注ぎ込んでようやく実現していたようなソリューションを、今なら「たった一人の傑出した人間」がやってのけるかもしれない。組織や技術や資本よりも、「個人」のほうがより強力にレバレッジを効かせる(=小さな力で大きな影響力を発揮する)ことができる時代なのだ。
それを象徴的に表現するなら、「エクセレント・カンパニー」の時代から「エクセレント・パーソン」の時代になったということである。
そのような現状分析から導き出される結論の一つは、21世紀は世界的な人材競争がますます激しくなるだろうということである。しかも、その競争においては、名刺も肩書も関係ない。どんな能力を持っているのか、求められる以上の成果を残せるか否かが問われる。
さらにこれからは、AIやIoT(モノのインターネット)がビジネスの現場に浸透していき、従来ある仕事の多くは機械やロボットに代替されてゆく。その中で、問題を解決できる“余人をもって代えがたい”人材をどれほど多く味方につけられるか? 彼らの能力をいかに引き出し、機械にもロボットにもできない成果を上げられるかどうか? それが、企業の盛衰に直結するようになるだろう。
その意味で、かつて拙著『低欲望社会』で書いた次のような指摘は、今後ますます重要になってくると思われる。
〈20世紀の企業にとって成功の鍵は「人、モノ、カネ」だった。今は、モノもカネもあふれていて、特許などもカネ次第で使わせてもらえる。そんな21世紀における事業成功の鍵は、「人、人、人」である。〉