「1985年といえば、あの日航機の墜落事故があった年です。そして、松田聖子が結婚して、夏目雅子が亡くなって、三浦和義が捕まって、阪神が久々に優勝して…とにかく怒涛の1年だったから、写真週刊誌がいちばんやる気を出していた時期だったんですよね。そんなところへ迂闊にも私みたいな人間が現れたものだから、やっぱり大騒ぎになっちゃって」
曰く、「嬉しさも口惜しさも写真週刊誌が運んでくれました」。不本意な記事を書かれて歯がゆい思いをしたこともあるが、誌面にひしめくキッチュな醜聞や事件の数々に、読者として抗いがたい魅力を感じていたのもまた事実。
「そこに書かれた些末で愚かしいニュースの中に、たとえば20年経った時にふと思い出して、自分自身のトピックスになるようなものが意外とたくさんあるということが次第にわかってきて。今となっては端から端まで週刊誌を読みます(笑い)。もう、くだらなければくだらないほどいいっていう感じ。そのくだらなさを、いかに面白いものに組み立て直して自分のものにしていくか、っていうことを頭の中で想像し続ける。そういう作業自体もすごく好きです」
◆自分の“しょうもない世界”を担っている人間の一人
ちなみに山田さん、週刊文春の「顔面相似形」のコーナーのファンで、実際に投稿したこともあるのだという(!)。他にも、アメリカ大統領選の動向から、「この、ハゲー!」騒動まで。『吉祥寺デイズ』の中には、週刊誌を賑わせたネタに加え、ワイドショーの話題もたくさん登場する。
「先日の芥川賞の選考の場で、とあるニュースの話題が出た時に、“その話、『アッコにおまかせ!』でもやってたよ”ってちょっと得意げに披露していたら、同じ選考委員を務めている島田雅彦に“テレビばっかり見てるなよ”って呆れられちゃった(笑い)」
当人はいつも茶目っ気たっぷりだが、一般的に「文学者」というと、どことなく浮世離れしているというか、ゴシップやスキャンダル記事のような俗っぽいものにはあまり興味を示さない人種だと思っている読者も多いんじゃないだろうか。
「とんでもない。私の知っている作家はみんな興味津津ですよ。だって、経験なんてもちろんないのに、時には殺人事件について書かなきゃいけないんだから。自分で経験できないぶんは、そういう三面記事を参考にするから非常に詳しくなるんです。
そもそも人間って、そんなに高尚なものじゃないでしょう。むしろ身近にある、卑小な喜怒哀楽から始まっているのが小説であり、文学だと思う。実際、昔の名作の中にもゴシップの要素は必ず入っていますから。その点で言えば、週刊誌っていうものもなかなか捨てて置けない存在だなと思っています」