徳島文理大学教授の八幡和郎氏
また、『日本書紀』によれば、4~5世紀頃、朝鮮半島南部が小国郡立であった頃に、日本は「任那(みまな)」と呼ばれる小国連合を束ねて自国領土とみなしていた。朝鮮半島が大和朝廷の領土の一部だったことは日本側の記録だけでなく、中国の史書や高句麗の好太王碑(*)の記述からも裏付けられる。中国南朝の宋国に使節を派遣した倭の五王の武(雄略天皇)は上表文で「北の方の海を渡って、平らげること九十五国に及んでいます」と言ったと『宋書』に記されており、好太王碑にも新羅や百済をめぐって日本と争ったことが記されている。
【*好太王(在位391~412年)の事績を顕彰した碑】
にもかかわらず、半島南部が日本の支配下にあったことを韓国人は否定する。認めてしまえば、日韓併合などに多少なりとも正当性を与えることを危惧し、さらには彼らの自尊心がそれを許さないのだろう。
任那は新羅(韓国がその継承国家)に侵略された日本領だというのが古代日本国家の見解だった。
【PROFILE】八幡和郎●1951年滋賀県生まれ。東京大学法学部卒業後、通商産業省入省。北西アジア課長(南北朝鮮も担当)、大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任。現在、徳島文理大学教授。近著に『消えた江戸300藩の謎』がある。
※SAPIO2018年3・4月号