原:高山さんはハンセン病に関する内外の歴史を総括した本書の補遺「ハンセン病と人間」で、その光田健輔と日本の隔離政策の歩みにも詳しく触れている。僕はこの補遺を読むだけでも価値があると思うくらいですが、要するに光田は、ハンセン病が従来信じられてきた遺伝病ではなく、伝染病であると確信し、患者をいち早く隔離するべきだと主張した人物ですよね。

高山:ええ。東京帝大医学部専科時代からハンセン病に高い関心を寄せていた光田は、渋沢栄一が初代院長を務めた浮浪者収容施設「東京養育院」に日本初の隔離病棟を設置し、多磨全生園の前身・全生病院(明治42年~)の初代院長や、昭和2年からは国内初の国立療養所・長島愛生園の初代園長も兼任した。そして昭和6年には光田らの働きかけで「癩予防法」が施行され、患者の摘発や隔離収容を軸とした、いわゆる「無癩県運動」へと突き進んでいきます。

 この国を挙げた一大キャンペーンに名前を使われたのが当時の貞明皇后で、もし家族や近所の者に患者がいた場合はいち早く通報し、隔離施設に入所させることが、〈皇太后陛下の御仁慈〉に報いることに繋がる、とかね。

原:ただし当の皇太后自身、ハンセン病には相当関心があったと僕は見ているんです。というのも彼女はいわば「剛の神功皇后」と「柔の光明皇后」を理想の皇后像としていて、聖武天皇の時代に信心深き皇后が癩病患者の膿を自ら吸い取ったとされる「光明皇后伝説」についても、当然意識はしていただろうと。

高山:その上で原さんの著書『皇后考』などを読むと、貞明皇后は病弱だった大正天皇に代わって摂政を務めた昭和天皇の皇太子時代に、強い不満を抱いていたとある。とくに皇室の儀式を簡略化していく息子に、もっと神に謙虚になれ、神道をもっと勉強しなければダメだと、苦言を呈するわけですね。そしてこれも原さんの受け売りですが、彼女は皇太后となったあともなお権勢をふるい、太平洋戦争の戦局が悪化すると、勅使を出して九州で敵国撃破まで祈願する。

◆「国母」を目指した貞明皇后

原:その点、明治天皇の皇后美子、つまり昭憲皇太后は、まったくタイプが違います。明治天皇が急に亡くなり、大正天皇が即位した際、山県有朋や西園寺公望は皇太后に未熟な天皇をしばらく傍で支えてほしいと進言する。ところが美子は亡き明治天皇の遺訓で女は政治に口出ししてはならない、天皇を支えるのはあくまで政治家の役割だと言ってこれをきっぱり断り、自分は沼津に引っ込んじゃうんです。

 ところが貞明皇后は皇太后になっても政治家や軍人に会い続け、2.26事件のあとも前例にない行動に出る。これは原田熊雄が口述した『西園寺公と政局』に出てくるんですが、彼女は広田弘毅内閣の全閣僚を大宮御所に呼んで1人1人を激励し、その帰りに西園寺に会ったある官僚が「『時局重大の時に一層身体を大切にして、お国のために尽してくれ』といふお言葉があつた。非常に有難くて、感謝に堪へない」と眼鏡をはずして声を上げて泣くもので、西園寺はもうぶったまげるわけです。

 さらに日中戦争が起きると当初事態の収拾に動いた近衛文麿はこれに難儀し、ついに首相の座を投げ出そうとする。すると皇太后は同じ公家出身の彼を呼びつけて、「どうか難局をぜひ一つ充分切抜けてもらふやうに頼む」「どうか国家のために大いに自重するやうに」「辞めないやうに」と懇願し、近衛がまた舞い上がってしまうんです。それを聞いた西園寺は再び激怒します。「近衛はなぜどういふ御用でお召しか、ということを伺つて、さうしてもしそれが政治上のことならば『伺へない』と言つてお断りしなかつたか」と。

 満洲事変勃発以降、天皇は戦地や満洲から帰還した軍人にしばしば会って戦況の報告を受けるようになりますが、皇太后も日をずらして会うようになります。日中戦争の勃発以降、その回数は激増します。ところが太平洋戦争末期に当たる1944(昭和19)年12月以降、決まって天皇が午前に軍人に会うのと同じ日の午後に皇太后も会うようになる。それまでですと天皇は午前、午餐、午後と三回軍人に会うことで、戦況をじっくりと聴取することができたのに、午前にしか会えなくなるわけです。その代わりに皇太后が午後、同じ軍人に椅子を与えてじっくりと戦況を聴いている様子が、例えば畑俊六の日記などから伝わってくる。こうした習慣は1945年7月まで続いていて、皇太后が宮中で隠然たる影響力をもっていたのがわかります。それが先ほどの敵国撃破の話にも繋がるんです。

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