高山:なるほど。歴史的には日本でも、16世紀にイエズス会のバテレンたちがやって来て以来、主にキリスト教がハンセン病者の救済にあたってきました。
実は江戸時代の皇室はそこまで手が回っていないんです。それが明治に入り、外圧でキリスト教を受容するようになると、自分たちも対抗しうる神を持つべきだということで国家神道がつくられ、1つは軍事力や重厚長大産業を背景とした具体的な力、1つは社会的弱者に対する慈母的な力を軸に、国を運営していく。どんな宗教であれ、神というのは誰かしら「救う対象」を必要としますから。
ところが日本でもハンセン病の療養所ができていった当初は、ほとんどがキリスト教系でしょ。ことハンセン病に関しては日本におけるキリスト教の勢力図が逆転していて、そこにあの貞明皇后がやって来るわけです。ということはキリスト教に対する対抗意識を、当時の日本政府や天皇家は相当持っていたように僕は思う。
つまり政府側が隔離政策や神道を軸にした国家運営を進めるなかで貞明皇后を政治利用し、本人も納得づくで使われた部分は当然あったと考えられる。ところが今日では「国家が差別の構造をつくった」という文脈が固定してしまっているから、「差別に加担したのが貞明皇后や皇室だ」という話に、リクツではなってしまうんですね。
ただ、今でこそ特効薬もできていますが、かつてこの病気は人類の宿啊でした。しかもハンセン病自体は死因にならず、免疫力が落ちるために他の病気を併発し、姿形も崩れてしまうなかで、皇室は皇室なりに患者をケアしてきた。そうあらざるを得なかった。というと「高山は皇室好きで、皇室のやることは全部肯定する」とネットに書く人がいるわけだけど、歴史というのは「現在の視点」だけでは見誤る可能性が高いわけです。
たしかに政府や光田健輔は貞明皇后を利用した。でもそれは必ずしも皇室の側から望んだことではないと僕は思っていて、そうした一連の「記号化」をこそ、笹川陽平の活動を具体的に報告した本書では、問題視したつもりです。
●たかやま・ふみひこ/1958年宮崎県高千穂町生まれ。法政大学文学部中退。1999年、ハンセン病で早世した作家の評伝『火花 北条民雄の生涯』(七つ森書館刊)で第31回大宅壮一ノンフィクション賞と第22回講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に『鬼降る森』(小学館文庫)、『水平記』(新潮文庫)、『エレクトラ』(文春文庫)、『どん底』(小学館文庫)、『大津波を生きる』(新潮社刊)、『宿命の子』(小学館刊)、『ふたり』(講談社刊)などのノンフィクション作品のほか、『父を葬る』(幻戯書房刊)や『あした、次の駅で。』(ポプラ文庫)などの小説がある。
●はら・たけし/1962年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。国立国会図書館に勤務後、日本経済新聞社に入社し、昭和天皇の最晩年を取材。東京大学大学院博士課程中退。現在は放送大学教授、明治学院大学名誉教授。著書に『昭和天皇』(岩波新書、司馬遼太郎賞)、『滝山コミューン一九七四』(講談社文庫、講談社ノンフィクション賞)、『大正天皇』(朝日文庫、毎日出版文化賞)、『皇后考』(講談社学術文庫)、『松本清張の「遺言」』(文春文庫)など。