高山:大分の宇佐神宮と福岡の香椎宮ですね。応神天皇と神功皇后が御祭神の。
原:ええ。後の応神天皇を懐妊したまま海を渡り、自ら軍を率いて新羅を平定し、百済・高句麗に朝貢を誓わせたと『日本書紀』にある「神功皇后の三韓征伐」です。神功皇后はその実在性を疑問視される一方、1926(大正15)年の枢密院会議で皇統が確定するまでは天皇として扱われることも少なくなかった伝説の女傑で、そういうマッチョな力と、光明皇后のような癒す力の、どちらにも肩入れしたのが、昭和天皇の母・貞明皇后なんです。
高山:いわば彼女は歴史上、初めて「国母」たらんとした皇后ではないのですか? 軍事力や政治力を持つ一方、慈母としても最も弱き者に手を差し伸べる。
原:明治政府は、近代国家にふさわしい天皇像と皇后像をつくろうとしました。天皇が軍事的・政治的役割を担い、皇后は後ろに控えて天皇ができない領域をカバーする。具体的には養蚕や女子教育の奨励、社会的弱者の保護、戦傷兵に対する慰問などです。そのモデルに明治天皇の皇后である美子は比較的忠実でした。ところが貞明皇后はハンセン病者の保護など、美子のあり方を踏襲する一方、神功皇后的な側面も強く出てくる。1922(大正11)年に参拝した香椎宮では祭神である神功皇后の霊と一体になったとかいう神がかった歌まで詠み、帰りは門司から軍艦に乗り、瀬戸内海を進むのです。まるで神功皇后が乗り移ったかのように!
◆キリスト教への対抗意識
高山:実は陽平さんも海外の患者を現天皇・皇后と会わせたことがあるんです。するととくにキリスト教世界では神罰を受けた者と言われてきた彼らは、高貴な方々に声までかけてもらえたと大感激する。外国の、神を異にする人たちがですよ。
原:彼らは旧約聖書に神罰を受けた者と記され、歴史的・宗教的に差別されてきた。一方日本でも松本清張が『砂の器』に書いたように社会的差別はあったものの、それはキリスト教によるものではなかった。
そもそも皇室は国家神道を奉じる一方、昭賢皇太后は終始法華経、貞明皇后も元は法華経信者で、とくに大正天皇が病弱で伏してしまう大正後半からは、筧克彦という東京帝大教授が唱えた「神ながらの道」に傾倒していくんです。
高山:原さんは『松本清張の「遺言」』で、清張の遺作『神々の乱心』に登場する架空の宗教団体・月辰会と「神ながらの道」の共通点にも触れていますね。
原:ええ。筧は元々憲法学者で、「神ながらの道」も国学が下地にあるものの、月辰会同様、体系的な教義がありません。その代わりに「神ながら皇国運動」というオリジナルな体操を発案し、この体操を繰り返し行うことで「神ながらの道」を体得させようとします。
高山:まるで新興宗教だ……。
原:逆に言うと、皇太后はそのおかげで西洋のキリスト教的なハンセン病観と無縁でいられたとも言えるわけで、むしろ光明皇后伝説にあるような「慈悲」に傾倒することで、彼女のハンセン病者に対する視点はつくられていったんじゃないかと。