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2018.05.16 07:00  NEWSポストセブン

北朝鮮の非核化による融和ムード 数年後に自ら壊す可能性も

◆敵対関係からの脱却を宣言

 米朝両国は2000年10月12日に発表した共同コミュニケで、朝鮮戦争以来50年にわたる「敵対関係」からの脱却を宣言したことで、朝鮮半島の冷戦構造の解体は加速した。さらに同年12月23日には平壌で金正日総書記とオルブライト米国務長官の会談が行われ、米朝の蜜月ぶりが演出された。

 米朝会談は1992年から開始されたわけだが、その間、米国は経済制裁を緩和し、米国、日本、韓国はコメなどの食糧支援を含む経済支援を行った。また、北朝鮮が保有する核兵器の製造にも転用可能な黒鉛減速炉と核兵器開発を放棄させるため、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)を設立し、軽水炉による原子力発電所の建設に着手した。

 原発が完成するまでの間の補償として、KEDOは日本と韓国の負担で重油の供給を開始した(原発建設は2003年に中断、2005年にKEDO解散)。日本は経済支援だけでなく、金丸訪朝団(1990年)、渡辺訪朝団(1995年)、森訪朝団(1997年)、村山訪朝団(1999年)を平壌に送っていた。また、1992年11月を最後に中断されていた日朝国交正常化交渉を2000年4月に再開。2002年9月には小泉純一郎首相が訪朝した。

◆意図的に壊される融和ムード

 当時の状況は昨年(2017年)のトランプ大統領就任後から現在までの米朝関係と似ている。前述したように、クリントン政権では北朝鮮への武力行使まで検討したにもかかわらず、米朝関係は北朝鮮の思惑通りに融和へと進んだ。

 しかし、2002年12月12日に北朝鮮は凍結した核施設の再稼働を宣言。さらに、翌2003年1月10日に核拡散防止条約(NPT)の脱退を宣言し、「米朝枠組み合意」を崩壊させ、融和ムードを一変させた。

「米朝枠組み合意」の崩壊により、2003年以降は6か国協議に交渉の舞台が移されたが、米国と北朝鮮との二国間での会談は、北朝鮮の融和姿勢によってはじまり、北朝鮮の核開発再開宣言によって終了した。つまり、融和ムードは北朝鮮によって作り出され、北朝鮮によって壊されたのだ。

 今年3月5日、南北首脳会談の開催が合意されて以降の、北朝鮮によって演出された異様な融和ムードも、数年後には北朝鮮の手によって壊されることになるだろう。

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