ここまで女性にウケているということは、複数の魅力があるということ。「男同士のラブストーリー」と聞けば誰しもBL(ボーイズラブ)を思い浮かべるでしょうし、実際、田中圭さん、吉田鋼太郎さん、林遣都さん、眞島秀和さんと、タイプや年齢の異なるイケメンをそろえ、「シャワー中のキス」「バッグハグ」などの腐女子ウケしそうなシーンも見られます。しかし、それは当作の一部分に過ぎません。
むしろ多くの女性を引きつけているのは、純度の高いラブストーリー。黒澤武蔵(吉田鋼太郎)が春田創一(田中圭)に夜の公園で絶叫告白するシーンは、『101回目のプロポーズ』(フジテレビ系)の「僕は死にましぇん」を思い起こさせましたし、手作り弁当持参の屋上ランチは、往年の学園ドラマを見るようでした。
つまり、「見た目が男と男の恋愛」というだけで、「気持ちの面では男と女の恋愛」と何ら変わりないのです。奇をてらうようなシーンを作らず、「純度の高いラブストーリーを作ろう」という制作スタンスが女性視聴者に伝わっているからこそ支持されているのはないでしょうか。
これは裏を返せば、「男と女で純度の高いラブストーリーを描こうとすると『しらじらしい』と思われがち」ということ。たとえば1990年代序盤は、『キモチいい恋したい!』(フジテレビ系)、『クリスマス・イブ』『あしたがあるから』(TBS系)などの社内恋愛を描く作品が多かったのですが、現在は「何を今さら」「ありえない」と思われてしまうため、ほとんど制作されなくなりました。
もともと社内恋愛は、「毎日顔を合わせる」という密度の濃さがドラマ性に直結しやすいテーマだけに、当作はそのメリットを最大限に生かしているのです。引いては、「80年代後半から90年代前半の月9」に通じるピュアなラブストーリーとも言えるでしょう。
◆主人公や周囲の反応にLGBTへの配慮
次に、「なぜLGBTの苦情はほぼ聞かないのか」という疑問について。昨秋、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)の名物キャラ・保毛尾田保毛男が批判を集めただけに、「男性同士の恋愛を切り取る」というコンセプトにあやうさを感じた人もいるでしょう。
しかし当作には、LGBTの恋愛を揶揄するようなシーンはありません。その証拠に、思いを寄せられる春田は、武蔵や牧凌太(林遣都)を気持ち悪がる様子を見せず、彼らの恋心を拒絶するような言動もなし。武蔵の妻・蝶子(大塚寧々)も、春田の幼なじみ・荒井ちず(内田理央)も、最初こそ驚いたものの、徐々に自然な反応へと変わっていきました。
同性に恋することを不自然に誇張せず、「特別ではなく普通にあり得ること」として扱うなどの配慮を随所に感じるのです。第4話でも、春田が武蔵に全力で向き合い、「ごめんなさい。こんな僕を好きになってくれてありがとうございました」と交際を断るシーンがありました。フラれた直後、武蔵はダンディな上司の姿に戻りましたが、帰宅後の食事中、こらえきれずに涙がこぼれてしまう姿は、ラブストーリーらしい切なさであふれていたのです。
さらに奥深く考えるのなら、当作は性別や年齢などの概念を超えた、人と人の間に育まれる愛情を描こうとしているのかもしれません。片想いの楽しさと切なさ、ささいなことによる喜びと悲しみ、思いがあふれてバカになってしまう純粋さ……。人間の普遍的な恋心を描こうとしているのであれば、女性だけでなくLGBTや男性も感動させられるのではないでしょうか。
◆現代社会は「男のほうが繊細な乙女」