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2018.07.06 16:00  NEWSポストセブン

潜伏キリシタンを生んだ鎖国の背景に「オランダのハッタリ」

◆なぜポルトガルと断交したか

 島原の乱の平定された寛永一五年(一六三八)時点、日本の最大の貿易相手国はポルトガルだった。そのためポルトガルとの関係を断った場合、オランダにその穴を埋める実力があるかどうかの不安があった。

 当時の幕府がポルトガルとの貿易に頼っていたのは中国産の生糸や織物、薬、乾物などであったが、その点に関してはオランダにも自信があった。マカオと東ティモールは依然としてポルトガル、フィリピンもスペインの手中にあったが、東シナ海の制海権はオランダの手中にある。そのため中国の産品を絶え間なく供給することには何の問題もなかった。

 これで対日貿易の独占は確実かと思いきや、オランダにはもう一つの障害が残されていた。それは幕閣の中に、日本からも船を出し、対外貿易に乗り出してはとの声があったことである。

 そんなことをされては元も子もない。そこでオランダは脅しをかけることにした。日本の貿易船が外洋に出れば必ずスペインとポルトガルの船から襲撃される。最悪の場合、スペイン・ポルトガル両本国との全面戦争になるが、そこまでの覚悟はあるのかと。

 これは完全にオランダによるはったりで、スペイン・ポルトガルが地球の裏側にまで大艦隊を派遣するなどありえないことだった。一四九四年、教皇アレクサンデル六世の仲介のもと、両国が西経四六度三七分をもって世界分割を約したのは事実だが、そんな一方的な条約が国際的にまかり通るはずはなかった。しかし、地球の大きさを実感できず、海外事情にも疎い幕閣を説得するには十分な効果をあげた。

 かくして江戸幕府はポルトガルとの断交にも踏み切り、対外貿易の相手国を西洋ではオランダだけとしたのだった。

※島崎晋・著『ざんねんな日本史』(小学館新書)より一部抜粋

【プロフィール】しまざき・すすむ/1963年、東京生まれ。歴史作家。立教大学文学部史学科卒。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している。著書に『日本の十大合戦 歴史を変えた名将の「戦略」』(青春新書)、『一気に同時読み!世界史までわかる日本史』(SB新書)、『知られざる江戸時代中期200年の秘密』(じっぴコンパクト新書)など多数。

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