カルピスが誕生して、今年で99年。なんと日本人の99.7%が飲んだ経験を持つという。子供の頃、暑い夏に氷を入れて飲んだという思い出を持つ人も多いだろう。まさに“国民的飲料”と言えるカルピス──その命名には伝説的な逸話があった。『カルピスをつくった男 三島海雲』著者である山川徹氏が綴る。
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日本初の乳酸菌飲料の名をどうするか。99年前、後にカルピス社を創業することになる事業家・三島海雲は頭を悩ませていた。
当時、日本は空前の健康ブームにあり、その影響からカルシウムが注目を集めていた。その語感を活かしたい。
加えて、もともと僧侶だった三島は、仏教で「最高の美味」を意味する「サルピルマンダ」という言葉も新飲料の名に用いたいと思った。
そこで三島が考えた名が「カルピル」。しかしどうにも歯切れが悪い。口ずさみながら三島はひらめく。「カルピス」はどうだろう。
すぐに童謡「赤とんぼ」の作曲で有名な山田耕筰(やまだ・こうさく)に音や響きについてアドバイスを求めた。山田は「カルピスはいい。みんなに愛される響きだ」と太鼓判をおす。こうして誰もが知る「カルピス」という名が生まれた。
また都市伝説のように脈々と語り継がれる誕生秘話もある。
三島はモンゴルで遊牧民から乳酸菌を分けてもらった。その乳酸菌を日本に持ち帰り、カルピスを作ったというのだ。明治時代、中国・北京で行商会社を営んでいた三島は、モンゴル高原を広く旅した。その冒険譚に尾ひれがついたのだろう。
残念ながらそれはフィクションである。カルピスの元となったのは、帰国した三島が東大大学院の学生と協力して発見した乳酸菌だ。