◆プロペラで敵機を砕く
その活躍ぶりは新聞で報道され、「震天制空隊」は都民の間で人気を博して、中野軍曹の乗った飛燕は日本橋三越の屋上に展示された。一方の板垣軍曹は、甘いマスクで慰問に来た女性たちの間で人気が高かったという。
そして迎えた昭和20年1月27日、この日は70機のB29が東京を襲った。飛行第244戦隊は総力を挙げてこれを迎え撃ち、これまでで最多の7機がB29に体当たり攻撃をかけた。
この時の戦闘について板垣軍曹はいう。
「この頃になると、B29も慣れてきたのか、ずいぶん高度を下げて飛んできました。高くてせいぜい8000~9000mだったと思います。1回目はB29の前から行きましたが、今度は後ろから行ったんです」
B29の前上方から飛んできた板垣軍曹機は、敵機とすれ違うや、急反転して後方から肉薄。自機のプロペラで、B29の垂直尾翼の方向舵と水平尾翼の昇降舵にかじりついたのだった。
「B29の尻尾をガリガリとやったんです。ああ、やったぞ! という思いでした。そして敵機の尾部に激突した瞬間、操縦桿を足で蹴飛ばしたんです」