昭和12年7月7日、盧溝橋事件で日支事変が始まると、深井氏は水雷艇「雁」に転勤。南京攻略を支援するため、揚子江をさかのぼる遡行作戦に参加した。
「南京攻略で陸軍が進軍していくのを、揚子江をのぼりながら防備するのが我々の任務でした。『雁』は小さい船でしたが、支那軍の砲台を大砲で撃破し、それで陸軍が上陸できるようになった。その功章として金850円もらいました。
11月下旬には陸軍は南京を完全攻略し、1週間もしたら南京の町は平和になった。私らが南京に入ったら、中国人の子供たちが日章旗を振って歓迎してくれましたよ。激戦の跡も虐殺の跡もない。南京で虐殺があったと言われていますが、ないない。絶対にない。
支那軍というのは『三十六計逃げるに如かず』で、攻めていくと逃げる、追うと逃げるで、どんどん奥に引きずり込んでいくんです。だから、案内をしてくれた陸軍少尉も『激しい市街戦なんてまったくなかった』と話していました」
●聞き手/井上和彦(ジャーナリスト)
※週刊ポスト2018年8月17・24日号